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銀座十字屋物語:大正時代

十字屋に於ける扱商品の変遷

※1.取り扱い商品の内、音楽関係以外のものはのぞきました。
※2.それぞれの取り扱い商品には一つ一つその時代のエピソードを含んでおりますが、ここでは省かせていただきました。
また、内容の説明、時代背景、人物、業界の事柄なども一部省かせていただきました。予めご了承ください。

大正初期

『大正琴』(タイショウゴト)
全国一手販売で展開。後年、大阪の三木楽器店が関西地区一手販売となった。
大正琴の製作者は森田伍郎(名古屋)
(解説)大正琴という名前をつけたのは十字屋であった。大正3年に欧州大戦(第一次世界大戦)が勃発。その時は、ハーモニカ、手風琴などの大衆楽器が輸入されなくなっていた。そんな折、森田氏より話があり、国産の大衆楽器製作に取り掛かった。発売後、これが大変な評判となり販売数はうなぎ昇りであった。最盛期には 60本の大正琴が入った梱包が、15梱包位づつ1日おきに入荷した。小売では店頭販売数が毎日100本以上販売され、残りはすべて卸し売りとして販売されていた。当時の卸し売りは九州から網走まで100店以上の小売店に対し、毎月コンスタントに楽器・楽譜類を卸していた。

『都山流楽譜 発売元』
(解説)中尾都山と提携し、関東一手販売を行った。これは昭和7~8年まで続いた。

大正7年

『第一次世界大戦後の舶来楽器扱い品(全扱品直輸入へ)』
倉田初四郎 米国から欧州へ

(取り扱い品)
●ライオンアンドヘレーピアノ (米)
●ガボーピアノ(仏)一手販売
●チンメルマンピアノ (独)
●エラールピアノ(仏)
●ザイラーピアノ(独)(1200円)
●カルマンピアノ(独)
●グロトリアンスタインウェヒ(独)(1450円)
●ラハールピアノ(仏)(1300円)
●バルトールピアノ(仏)(980円)
●ホーナー、H・アコ(独)一手販売
●カラチエ、マンドリン(伊)一手販売
●クエルノン 吹奏楽器(仏)一手販売
●ゲブリシュスター 吹奏楽器(独)
●西川ピアノ(650円)

大正10年

『セノウ楽譜を一手に取り扱う』
(解説) セノウ楽譜は、当時30銭均一で世界のあらゆる楽曲千数百種類を次々に出版した。音楽愛好家で「セノウ楽譜を持たない人はいない」とまで言われたくらいだった。十字屋は裏に倉庫を1軒借りて、その普及に努めた。

『スイス製メトロノーム販売』(横浜芝商会より仕入)
『パティベビー(仏)より映写機・撮影機を初輸入』
この輸入により、十字屋3代目倉田繁太郎による一連の教育映画活動が始まる

大正11年

『英国ビクターレコード(ヒズ・マスターズ・ボイス)を
はじめて輸入販売』

(解説)当時の英国ビクターレコードは、音楽愛好家の垂涎の的になっていた。当時レコード1枚7円、値段は高かったが両面盤であった。(それまでの米国ビクターは片面盤で曲も短かいピースものばかりであった)今回の輸入ではじめて、大曲を日本全土に普及させた。当時の主な輸入レコードは、
●ベートーベン 第九シンフォニー
●ベートーベン ピアノコンチェルト全曲
●クロイツェルソナタ
●シャリアピン
などを、国内で最初に輸入した。これらのレコードは輸入直後から大変に好評で、当時8室の試聴室を構えていたが足りず、ピアノ陳列所(楽器売り場)を解放した。それでも足りず、店舗奥の十畳間にお客を入れて対応していた。朝9時から夜11時まで営業し、その日の売上高は1万円を超える盛況ぶりであった。

大正13年 『“音楽新潮”創刊』
大正14年

『オーケストラスコアの輸入が始まる』
(解説) オレインブルグ、ブライトホックなど。NHKへ大量に納入。

『マーベル蓄音器製作発表』
(解説) 最初サウンドボックスだけを作り、後に全部を作るようになった。発売当初より大変人気の商品となり、昭和初期には店頭販売だけで、一日30台以上が販売され、大いに賑わった。

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